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Happy Rich - 我、今、ここに、生きる -

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初心に帰る(2)退職時の悩み

これも「初心に帰る」ことを目的に、2005年1月14日の日記を転載するものです。

時々、自分で読み直して、心を新たにするために。

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自分がこのHPで書こうとしていることは、定年を待たずに早期退職した人間がいて、その事実をどう受け止め、なにを考え、なにを悩み、どうそれらを乗り越えようとしているのか、といったことでした。

でも、昨年末に書き始めてから、ほぼ一ヶ月ほど経ち、書き込んだ内容を見てみると、ちょっと違うと言う感じがしてきたのです。

「たそがれ父さん」が言われるように、悩んでいることは悩んでいることとして、同じ悩みを持つ人にとっても、自分のことのように感じられ、なおかつ、同病相哀れむの状態に陥らないよう、できれば書くほうも、読むほうも元気がでるような、そんなHPにしたかったはずでした。

でもそういった内面的なものよりも、実際にやっていることを書く方に重点が行ってしまって、ちょっと見には、積極的な性格で、がんがんやりたいことを実践し、希望の将来に向かって、順調に進んでいるような印象を与えるような書き方になっています。

でも、本当は全然そんなことはないんです。

もちろん、成功を自慢したり、上から見下すような言い方などしたいと思ったこともないし、口が裂けてもそんなことを言える状態でもない。

それは書くには書きます。

今、自分は順調だ。人生はあるがままで完璧だ。私の選択は間違っていない。

でもそうは書いていても、心底そう思っているかと言うと、そうなり切れて居ない自分がいるし、現実、このまま行って大丈夫だろうか、と不安になることもしばしばあるのです。

命じられるままにアメリカに転勤し、その結果、子供の教育を考えて早期退職を選択したのですが、その選択をする上では、相当な葛藤がありました。

特に、若いときから事業や投資に熱意を燃やし、資産形成への歩みを着々と重ねる、なんていう生き方とは無縁の、ごく普通のサラリーマン生活を送ってきました。

金持ち父さんのように、若くして引退する(もう若くはないですが)ほどの資産を蓄えたわけでもなく、まず経済的にどうなるか、を筆頭に、本当に悩みました。

子供はまだ、小学生と中学生、これからお金がかかる時期です。

結婚が遅かったのと、ライフプランなんて考えたこともなかったので、当然と言えば当然の結果です。

家は、必要な頭金が少なくて済むことをよいことに、今の自宅などは10%の頭金で購入し、今払っているのは金利のみで、2年近く経っても、ローンはまだ依然として90%も残っている。

日本に住む私の両親は、85歳と76歳ですが、かなり日常生活に不便を生じるような状態になりつつあります。

同じく日本に住む妻の両親は、母親の方がパーキンソン病を患い、病院通いです。

共に、もし子供の教育のことさえなかったら、たとへアメリカで多少やりたいことがあっても、日本に居て、双方の両親の面倒を見てやらなければならない立場にあります。

もし日本で一家が暮らせるのだったら、私も退職せずに、いまだサラリーマンとして、ある程度安定した収入を継続できたはずでした。(早期退職の嵐がふきあれているので、残ったかどうかはわかりませんが)

でも、子供たちは、日本語がほとんどできません。話すことは話しますが、日常会話に毛が生えた程度です。

先日など上の息子(現在、日本で言えば中学2年)から、「カタカナのエってどう書くんだっけ?」と質問され唖然としました。

元はと言えば、日本語学校に通っていたのに、その状況を見ていて通わせ続けるのが本当にいいことか迷った末、中途で止めさせてしまったことも、今から考えると失敗だったかな、という気もします。

息子も娘も完璧にアメリカ育ち、日本人の友達もいるにはいますが、向こうも同じような境遇で、会話はもちろん英語。

上に書いたように、子供さえ日本で教育することにすれば、早期退職することもなかったのです。

でも、私も妻も、子供の教育はアメリカをとりました。この程度の日本語力の生徒に対して、日本語を初歩から教える学校が非常に限られていると言う事情もあります。

帰国子女受け入れ校もありますが、公立では対応するレベルが限定されます。

私立ではありますが、下手をすると寄宿舎か、さもなければ家族別居です。自宅あるいは会社近辺から通えるところに適当なところがありません。

一緒に生活するために日本へ帰ったはずが、子供に苦労をさせ、高い学費を払って、それで別居や単身生活では何のためになるのだろう。

また、はたしてそういった教育は、私たち夫婦が子供に対して与えたい教育なのだろうか。

もっと言えば、日ごろからアメリカの教育を見ていて、自分としてはこちらの教育のほうが好きでした。いいところを伸ばす教育、一つ一つの教科の教えることの幅の広さ、宿題やらプロジェクトも自主性を重んじるやり方。

たしかに国別学力比較では日本の方が圧倒的に上です。

でもそれがなんなのでしょう。

とにかく、親のこともありましたが、幸い、どちらも私たちの兄弟、姉妹がそう遠くないところに住んでいるので、申し訳ない思いを持ちながら、日ごろはその兄弟姉妹に頼ることにしました。

そうして退職し、家族が待っていたアメリカへ戻りました。

単身帰任時、泣いて泣いていつまでも列車に乗り込もうとしなかった娘が一番喜んでくれました。

娘の笑顔を見たり、おやすみのキスをされたりすると、親ばかの典型で、本当に心が安らぎます。

でも現実は現実として、依然として私たちの生活を維持させていかなければなりません。

退職したときに心に決めました。

せっかく27年間、わきめもふらず働いてきたのだから、この辺でちょっと休みをとってじっくりと人生を考えてみよう。

そして、もしできれば、これからは働くにしても好きなことをして暮らそう。

自分に一年の猶予を与えました。もうすぐ一年が経ちます。

退職後、しゃにむに経済的な面での基盤作りをしてきましたが、やはり現状では、また働くことになりそうです。

でも救いは自分の性格です。

楽観的な性格が、こういった場合でもあまり自分を落ち込ませずに済ませることができました。

こういったときに、時々あるメロディーが浮かんできます。

プロジェクトに失敗し、何億円もの損失を出したとき、

事業を撤退すると決まって、やむなく現地従業員の人員整理をせざるを得なかったとき、

何度も経験した底なしに落ち込んでいくような、そんな時に、時には仲間のアメリカ人と肩を組み、マイクを奪い合って、絶叫するように歌ったあの歌、

Let it be.

さあ、気を取り直して、元気に行こう!!

悩んでも始まらない、落ち込んでいてもなにが変わるものでもない。

全力を尽くしたじゃないか。

これからも全力を尽くして行けばいいではないか!!

(2005年1月14日 アメリカ 自宅にて)



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